金も地位も無くても最高に幸せな人のドキュメンタリー制作中

最近取り組んでいる「ドキュメンタリー制作」が面白い。前回書いたように「自分が観たい」と思うような作品が撮れればそりゃ面白い。

以前は贅沢を並べて「機材が」「出演者が」と言ってなかなか取り組まなかったけど、これらが揃いつつあるタイミングで2人の方を撮影完了。1人の方は映像は撮らせてもらったので残るはインタビューのみ。

ほぼ3人の方々の撮影を行うことができました。最初の方は「50歳の売れないバンドマン兼アーティストの最高に自由で幸せな生き方」を題材にしました。とても失礼な書き方になってますけど、この人は「すごい部分」を持っていて、誰もがそこに関心を持つだろうと確信しているからです。

この人はあまり働かずに「好きなこと以外は一切やらない」と、ストレスとは無縁の満足度150%のアーティスト生活をエネルギッシュに送っている。

 誰もが好きなことを好きなだけやりたいと思ってるけど「生活が」「養う家族が」「時間が」「責任が」と言いながら取り組むことが出来ずに不完全燃焼のまま、気付くと高齢になり意欲も失っているというパターンが多いらしい。

先日とあるニュースでは、80歳以上の高齢の方に「悩み」を聞くと「若い頃にやりたいことをやらなかったこと」と答える人が圧倒的に多いと報じられていた。

 

そんななかで、世間一般から見た「父親像」「社会人像」「家族像」の幻想をかなぐり捨てて、自分の中だけで完結した自分だけの答えを見つける姿勢は今の世の中では関心ごとなのではないかと思うし、それ以上に自分自身が観たくて(笑)

そんなことを考えながら編集したドキュメンタリーは1時間以上の長編になってしまったので、4編程度に小分けにして出していこうかなと思っています。

ということで近々「50歳の売れないバンドマン兼アーティストの最高に自由で幸せな生き方」の全4篇を公開します。さてどうなることやら。

 

ただ、ある意味矛盾してしまうけど「好きなこと」にあまり大きな意味を求めすぎるのも個人的にはナンセンスだとも思う。

ボクにとって好きなことは今は「映像をつくること」だけど、これを生業にできるのか、適正があるのか、本当に心の底の遺伝子レベルから好きなのかはわからない。

もしかすると、たまたま他の人がやっていないタイミングではじめたから、たくさんの人がたまたま認めてくれて「ちょっとしたやりがい」を感じているだけなのかも知らない。

だから観てくれる人がいなかったり、認めてくれる人がいなければすぐに飽きるのかもしれないし、「40代の焦り」が原動力なのかもしれないし、単に「会社員としての仕事」が苦しくて消去法で選択してるだけなのかもしれない。

でもそんなことを突き詰めたところで真実なんてわかりはしないし前進もしないし、楽しくもない。

 

 

自分の理想の「心の底から好き感覚」は、忘れもしない小学校5,6年生の頃の「野球」である。

この頃、ボクにとっての野球はライフワークそのもので、寝ても覚めても頭のなかは「常に野球」。頭のなかではいつも甲子園球場の「巨人阪神戦」の野太い応援歌とトランペットが鳴り響き、グローブをはめた時のウズウズとした興奮と心の落ち着き。

毎週水曜日、クラス対抗野球で近所の空き地へ自転車を漕ぎながら、街路樹の隙間から遠くへ見える仲間たちの姿を見たときの感覚は一生忘れられない。下半身が痺れて、自転車のペダルを漕ぐスピードが勝手に速くなるあの感覚と、軟式ボールを思い切り投げたときの風切り音のあとに聞こえるキャッチャーミットの乾いた音を聴いたときの感覚は、まさに遺伝子レベルの「大好き」。鳥肌ものだった。

 

「お金」「生活」「適性」「評価」という自分の感覚以外のパラメータが増えてしまった今、これと全く同じ感覚を求めても、恐らくもう一生無いのではないかとも思う。

でも体と心の奥底に染み付いてしまったあの感覚に少しでも近付けるようなものが、また日常に戻ったらどんなに幸せなのかと心が震えてくる。

アタローさんの日常はそんな感覚に近いのだろうか?

「50歳の売れないバンドマン兼アーティストの最高に自由で幸せな生き方」は1週間以内に公開予定です。

 

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