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映像という表現について

映像制作活動の2015年に何となく映像を撮りはじめてからもう5年。最初の取っ掛かりとしてバイクの映像を撮りはじめて、ここ半年ほどはバイク以外の映像も撮るようになってきて、僭越ながら「プロモーションを撮って欲しい」というお問い合わせも頂くようになってきた(プロモ制作のお問い合わせは、ほぼ全てスルーしてしまっていて本当に申し訳ないです)

それはそうと、自分の映像制作活動のなかでの凄くネガティブな想いを白状すると、個人的に「メッセージ」という言葉がちょっと嫌いだ。

ここで言うメッセージは、メッセンジャーやLINEで送る物理的な情報としての「メッセージ」ではなく、物語や映像、楽曲にのせる、もっと心に近い魂のメッセージのほう。

正直なところ、ボクには「〇〇というメッセージを映像や音楽という媒体を通じて誰かに伝えたい」という感覚がほとんど無いし理解もできない。

むしろ

「夢と希望、そして愛のメッセージを世界中の子どもたちに伝えたい!そしてみんなに幸せになって欲しい!みんなの役に立ちたいんです!」などと発するアーティストが歌番組なんかに出てたりすると、その瞬間にひとつふたつ暴言を吐きながらチャンネルを変えるくらいの嫌悪感を覚える。

もちろん人格否定するのではなく、その人のアーティストとしての捉え方に強い反発を感じてしまうだけなんだけど。

自分の作品を通じてそれを見た人聞いた人にメッセージを伝え、その結果人に影響を与えたり役に立ちたいなんて・・・何とも言葉にならない憤りを感じるのは、もしかすると「人前で自分の作品を披露する大きなステージに立ち、脚光を浴びながら自立している人」への単なる僻みなのかもしれない(たぶん80%くらいはこれだ)。

それでも”そんなに人さまの役に立ちてぇならサービス業にでも従事しろや!”と心の中で思い切りDisってしまう声の残りの20%くらいは別のところにある。

このあたりは理屈では全くうまく説明できそうにもないので、過去の例を乱暴に挙げてみる。

その昔、中学一年生の時にスタジオジブリの「となりのトトロ」を観て、冒頭から森の中の木漏れ日の風景の画が美しすぎて「これは本当に絵なのか?!」と絶句したことがある。本当に信じられなかった。冒頭からVHSビデオテープを何度も巻き戻して観てはため息をついた。

それまでアニメはほとんど観ることがなかったのに、それ以降はディズニーランドが遊園地とは別格扱いされるのと同じように、スタジオジブリ作品だけは単なるアニメとは別格扱いになった。いつでも観れるようにVHSビデオにダビングしたら、近所の小さな子どもたちがよく大勢で「トトロ貸して〜」と借りに来た。

ボクはこのとき中学生で「メッセージ」などというものを(たぶん)意識してなかったし、もちろん借りに来た小さな子どもたちも映画の奥に潜むメッセージなどというものを理解していたはずもない。

それでも何度も見返しては授業中にもボォーっと思い出し、更には自分でダビングしたテープが近所の子どもたちの手もとに行き渡っていた。そもそもボクらが観ていたのはトトロやネコバス、サツキ、メイにお父さんお母さん、カンタとおばあちゃんに夢中になっていただけで、そこにメッセージが介在していたかどうかなんて引き合いに出す意味もない。

その十年後、この映画は自然保護の意味合いがあるということをどこかで聞いた。要は作り手が美しい自然を描くことで「自然を護る」というメッセージを込めて制作したというもの。でもやっぱり作中のなかで「自然を護ろう」「地球に優しく」なんて取ってつけたような安っぽい言葉は一言も出てこない。

その頃、宮崎駿監督が作中に出てくる自然についてインタビューを受けているのをテレビで見たとき、確かこんなことを言っていた

「私にとって自然はとてつもなく巨大なもので、誰が何と言おうとそこに厳然と存在している絶対的なものです。私が自分の想いや理屈を込める余地なんかないんです。」

やっぱり自然保護のメッセージは観る側が後付けで作ったのではないかと思う。

観ている人にこんなことをわかって欲しいという想いはあったのかも知れないけど、それを「メッセージ」として作中に言葉で表現したり、あとからいちいち解説したりもしない。

映像と世界観は圧倒的だけど物語はごくごくシンプルだから、観ている側が「きっと見えないところに何かメッセージが隠れているに違いない」と、色々な解釈を書き込むだけの余白がある。

このとき余白に書き込んでいくのは、観ている側が制作者の想いとは全く関係のないところでやっているだけである。

何よりも、観ている側が自由に余白に書き込んだり、想像力を働かせて余白を読んだりすることも、二度三度と楽しめる大事な娯楽でもあり、創造でもある。

そこへ「こんなメッセージがあるんです!」と創作者が余白を言葉で埋め込んだ瞬間にそれが正解になり、それ以外の解釈は間違いということになってしまう。

宮崎駿監督が「みんな!トトロには自然保護のメッセージがそこかしこに込められているんだ!だからみんなで自然を大切にしようぜ!」なんて声高に叫んだ瞬間に、観た人が想像力を刺激されて余白のなかで創りあげた「本当は悲しいとなりのトトロ」も「本当は怖いとなりのトトロ」も殺してしまうことになる。その結果生き残るのは「自然保護のとなりのトトロ」だけ。「自然保護となりのトトロ」・・・なんと興醒めな。

だから頼んでもいないのに、自分から勝手に「私からのメッセージはこれ!」と余白を埋めて得意になっている人間を見ていると、

”コイツは想像力も創造力も無い単なる人気者に過ぎない”

と強い憤りを感じるのである。って、下の記事で坂本教授が言っています(たぶん(笑))

「”音楽の力”は一番嫌いな言葉」という共感できる坂本龍一の言葉

それではまた~

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