バイク

モラルとルールには罠がある

podcast配信しました。

バイクに関連したテーマについて、ダラダラと喋っているだけなんだけどこれが結構面白い。

普段自分が不満に感じていることや「これ、おかしいよね」と疑問に感じていることを明確な言葉にすると、「おかしい」と感じていた自分の考えの方のほうに実は違和感があったり、逆に「うまく言葉で表現できない」と感じながらも無理やり言語化していく過程で自分の考えが明確になってきたり、それなりの物語ができあがってくるのが面白い。

そんなわけで今回話題にあげたのが「モラルとルール」

バイクに乗る人たちは特に「モラルとルール」にはシビアだと感じる。やっぱりバイクに乗る人はカッコいいと言われていた側面もある反面、不良とかアウトロー的な存在であった長年の歴史は確実に現代のバイク乗りの心理にも影響している。

歴史的に迫害を受け続けていたユダヤ人が今度は周囲の人たちを迫害しはじめたり、ずっと「家庭の中で大人してしてろ」と言われ続けていた女性が今度は家庭内で力を持つようになったり、歴史の中での抑圧や迫害の反動は個人の意識の中にある/無いに関わらず、「恨み」や「怒り」「発散」のようなかたちになって確実に表に現れるものだと思う。

バイク乗りは「アウトローや迷惑な存在として世間から白い目で見られていた歴史」を引きずって、その反動からか「ルールやモラル違反」している人を見つけては重箱の隅を突き合う光景は多く見られます(「〇〇のような人がいると、俺たちのような真面目なバイク乗りまで〇〇に見られてしまって迷惑」という一見するとまともに見えるけど、よーく考えるとまるで筋の通らない言葉を殺し文句のように唱える人の多さもこれを物語っている)

ところが、社会人としてルールは守って然るべきもの、モラルはあって当然のものと捉えられるべきという、これも一見するとまともに見えて仕方がない一般論も、よく見ると「そもそもルール・モラルって何?」という根っこの部分が置き去りになっているケースも多々。

ルールやモラルという(一見すると)とっても立派で(実は)非常に便利な盾を持って、「私はモラル感あふれる立派な社会人アピール」するためのツールと化していたり、本来は周囲や相手への心の気遣いがおおもとにある筈なのに「他人の目を気にした自分」が主体になっているケース。

その結果、自分のアタマと心で判断するという大事な責任の部分が抜け落ちていたという自分の体験談をダラダラと語っております(笑)

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