音楽業界では「パレスチナ支援」はタブーという事実に驚愕

先日、こんな記事を読んで大変驚いた。

 

「パレスチナ支援は業界では禁句」

 

以前から、大好きな映画館でもあるアップリンクが主催するWebメディアである「webbDICE」を情報源として活用させてもらっているのですが、そこでの記事です。

 

元ピンクフロイドのロジャー・ウォーターズ氏へのインタビューを紹介した記事で、そこには

 

「音楽業界では、パレスチナ問題について声を上げることもできない(中略)何人もと話したが、みんなひどく怯えてるんだ。公の場で”反イスラエル”発言をすれば、キャリアを失い、業界から抹殺されるから」

 

パレスチナを弾圧するイスラエルは、国際的に批判を受けることが多いけれど、迫害を受けて世界へ散り散りになったユダヤ人は、今やアメリカでは経済・政界の有力者、大物が数多く存在するのも理由の一つなのか。

 

実態が全く伝わっていないパレスチナ

自分がパレスチナに興味を抱くようになったきっかけは

 

「パラダイスナウ」

 

というパレスチナのイスラエル占領地域であるナブルス、ナザレ、テルアビブを舞台にした映画でした(これもアップリンク配給の映画)。

 

この映画を観たとき、「映画でこんなにショックを受けたのは初めて」というほど強い衝撃を受けた。

 

「悪い意味で」です。

 

観終わった後、思わず一人で声に出して呟いてしまった。

 

「ウソだろ・・?!マジでカンベンしてくれよ!!」

 

 

「面白い」「感動した」なんて口をついては出てこない、感想を言うのすらもためらいを感じてしまう映画でした。

 

だって、テロリストが自爆テロを行うまでの苦しみと葛藤を描いた作品が面白いなんて、いまどき合コンで話したら相手は「シーン」と引いてしまうどころか「キーン」と張りつめてしまうと思う。

 

それでも常に悪者テロリストと闘う英雄という視点とは反対の、テロリストになる選択しかできなかった環境にいた若者の視点から見た映画は、新鮮であると同時に複雑な傷跡を自分の心に残してくれました。

 

正直全然楽しくなかった。

 

でも、それと同時に自分は「愛と感動の」「世界が泣いた」というキャッチフレーズの”感動&泣けるエンターテイメント”が大嫌いだ。

 

いや泣ける。泣いてしまう。大嫌いだけど、見るとまんまと泣いてしまう。

 

でもそれは主体的な感動ではなく、「涙腺を刺激するように設計されたエンターテイメント」だから。

 

その証拠に、本能的にボロボロと泣いてしまった「感動作品」は、観た後に思い出すことも人生の教訓になったことも殆ど無い。

 

清涼飲料水のように消費してそこで終わり。

 

むしろ「清涼飲料水」という表面的な言葉に踊らされて、健康的なつもりが実は糖分だらけという実態にも通じるものがある気がしています。

 

そういう意味では、観た時点では決して良い衝撃では無かった「パラダイス・ナウ」は、結果的にとても良い刺激になったと思う。

 

こういうことを書くと、必ず「テロの被害者や遺族の気持ちを考えたことがあるのか?!」なんて全く的外れで見当違いなクレームをつけてくれる人がいるけれど、

 

そういう考え方・発想こそがテロリスト的であることに彼らはまるで気付かないし、気付こうともしない。

 

「良い刺激になった」というのは、それまで全く知らなかったパレスチナを知ろうとする、一つのきっかけになったということです。

 

それまではパレスチナがどこにあるのかも知らなかったし、漠然と「テロが多いんでしょ?」くらいにしか思わず、そこに若者や人々の生活があるなんて想像したことも無かったから。

 

パレスチナとイスラエルに関連した文献を読み、ドキュメンタリーを読むと今度は行ってみたくなる。

 

数年前には「戦場でワルツを」を妻と一緒に観たあと、「イスラエルやパレスチナ周辺に行ってみたい」と言ったら軽いケンカになりました。

 

 

現在(2016年7月時点)上映中の「オマールの選択」や数々の作品含めて、イスラエルを背景にパレスチナを舞台にした映画でハッピーエンドの作品を一度も観たことが無い。

 

 

でも、それでも「触れない」こと「タブー視する」ことが良いことだとはどうしても思えず、「正しいこと」よりもむしろ「思った通りのこと」を書いてやろうと思った出来事でした。

 

 

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