FT女子HARUKA唄う♪

本サイトnostalgicbike.comにてライターをやってもらっているFT女子HARUKAちゃん。

 

風の噂では、先日もお台場でのニューイヤーズフェスティバルでは大人気だったようですね(オデ・・・行けなかった・・・)。

 

そんな彼女はギターの弾き語りもできる。

 

キズナ/ORANGE RANGE #FT女子 #弾き語り

♪さん(@kane.sing)が投稿した動画 –

 

この声とルックス・・・うーん・・・スバラシイね・・・

 

若くて可愛いだけでなく、明るく飾らない人柄も人気に拍車をかけてます。

 

旧いバイクZ250FTに乗り、運転も上手い、ギター弾けて歌も上手、美人。

 

何でもこなす若く美しい女性を、巷では「ハイスペック女子」なんて言ったりします。

 

でも彼女にはこの「ハイスペック女子」という言葉がしっくり来ない。

 

それと同時に、僕はこの「ハイスペック女子」という言葉が大嫌いだ。

 

「ハイスペック女子」という言葉を目にするたびに、なぜかとても不愉快な気分になるのは、自分の中に「ヒガミ」の気持ちがあるからだと思っていました。

 

何でもできる、能力が高い、そつなく完璧にこなすことへのひがみ。

 

でも、FT女子HARUKAちゃんの歌を聴きながら「ハイスペック女子」について改めて考えてみたら、どうもそうではないことに気付く。

 

「スペック」=「性能」。「性能」=「数値」を示す。

 

「ハイスペック女子」という言葉の気に入らない部分は「ハイ(高い)」ことに対するヒガミでもなく「女子」に対してでもない。

 

「スペック」という括りで人を語ることに不快感を感じているのだと思う。

 

僕は(一応・・・)ソフトウェア開発エンジニアなので、仕事でよく「スペック」という言葉を使います。

 

「スペック」とは「性能」を示し、全ての「性能」は「数値」で表されます。

 

バイクを例に出すと「最高出力=50ps」というのも、スペック(数値化された性能)です。

 

逆に「数値で表す」ことを「スペック化する」と表現することもあります。

 

つまり「スペック」=「性能数値」であり、「ハイスペック」=「高い性能数値」となるわけであります。

 

おそらく、自分が「ハイスペック女子」という言葉に強い不快感を感じるのは、巷で言う「ハイスペック女子」は「数値化」できるような表面的な部分にばかりにフォーカスを当てようとしているからだと思う。

 

学歴とかキャリアとか年収とか資格、美しさばかりにフォーカスして、人格やユーモアとか感性とか、数値化出来ない魅力を完全に無視している。

 

なのに、「ハイスペック」であることが人としての価値であるような言い方(書き方)をする。

 

僕が「ハイスペック女子」と聞いて不愉快な気持ちになる理由はここにあることがわかった。

 

そして僕がFT女子HARUKAちゃんを見ていて、「ハイスペック女子」の言葉が全くしっくりこない理由もわかってきた。

 

歌が上手なことは、スペック(数値)で表現することは出来ない。

 

だから「ハイスペックなところが魅力だね」と言われたら、「人間的な魅力が薄いね」と言われていることに近いと思う。

 

「ハイスペック」なんて目指す必要ありません。むしろ遠ざかりましょう。

 

 

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